三重(四日市)、名古屋(愛知)、京都、奈良、滋賀、福井など東海・北陸・関西で、篠笛・横笛を楽しく深く勉強したい方むけの篠笛教室です!(横笛教室)
三重県四日市市前田町28-10
059-347-1400
横笛奏者 原 彰宏
氏名 原 彰宏(はら あきひろ)
三重県出身・四日市市在住
血液型:B型
ニックネーム:まるちゃん(顔と体が丸いから)
好きな食べ物:お寿司・味噌カツ
趣味:ツーリング
好きな言葉:ケセラセラ
吉川英治著「宮本武蔵」のお通の笛の描写に心ひかれ笛を始める
篠笛教室、和太鼓グループやお囃子連など後進の育成も精力的に行っている
「篠笛・横笛倶楽部!」代表
横笛会会員 四日市能楽連盟会員
横笛奏者・鯉沼廣行氏、十一弦ギタリスト辻幹雄氏との「篠笛とギターの調べ」に共演にてプロデビュー。
ラトビア共和国で開催された「詩と朗読の日々祭」に出演。
リガ市、サルダス市にて計4回、歌人・紺野万理氏とランダ・メドネ氏と共に、自作曲「星状六花」を中心とした演奏を行う。
ハンガリー国立歌劇場にて催されたジャパンフェスティバルにて演奏を行う。
オーストラリア・オペラハウスにて催されたジャパンフェスティバルにて演奏を行う。
加賀「中谷宇吉郎・雪の科学館」・福井「養浩館庭園」にてラトビア共和国のランダ・メドネ氏・オーストラリアのアメリア・フィールデン氏、歌人・紺野万理氏と共に「星状六花コンサート」出演。
大四日市祭りイベント「邂逅・めぐりあい」に毎年出演。
京都大善院にて「篠笛のひととき」開催。
ギタリスト辻幹雄氏と水木神社にて奉納演奏を行う。
四日市市茶室「泗翠庵」にて、鯉沼廣行氏と「横笛のひびき」にて共演。
京都宇治「ほおづえ」にて「横笛の夕べ」出演。
京都西陣町家「古武」にて篠笛奏者・坂本真里氏と「横笛の夕べ」共演。
これより福井県大野「武家屋敷内山家」にて「篠笛の彩り」に毎年出演。
京都妙蓮寺にて「横笛の夕べ」を篠笛奏者・広瀬雅英氏と共演。
久良岐能楽堂「久良岐まつり」出演。
「四日市・能楽を楽しむ会」に毎年出演。
国生山佛性寺・黒谷観音にて篠笛奏者・広瀬雅英氏と共演。
四日市諏訪神社にて奉納演奏会を行う。
熊野丹倉神社にて毎年奉納演奏を行う。
熊野本宮大社にて奉納演奏を行う。
京都白峯神宮献灯祭にて奉納演奏を行う。
小牧市正眼寺にて「横笛の夕べ~祈りの笛」を開催。
京都アルティにてギタリスト辻幹雄氏と「篠笛の恋」にて共演。
瑞浪茶房「磁叟庵」にて、琵琶奏者・小川旭由氏と「幽玄の調べ」出演。
福井県大野市にてギタリスト辻幹雄氏と「篠笛とギターの調べ」共演。
四日市ムーシケにて辻幹雄氏と「横笛とギターの調べ」にて共演。
あさけプラザ中庭コンサート「横笛の夕べ」出演。
天鵞絨美術館にて「篠の彩風」出演。
京都法然院にて「横笛の夕べ」出演。
FM福井「空飛ぶ文庫」にて自作曲の「星状六花」放送。 他
横笛を通じて人生を「笑顔」で「健康」に生き、
「人」と「文化」を結びます。
人の心の豊かさに大切なのは「人との結びつき」。篠笛を通して生徒さん同士が心を触れ合い、健康で明るく活動し、暮らしの中の和文化の良さを振り返って欲しいという願いで指導活動を行っている。
ここではテレビや新聞などで取材された物をご紹介いたします。
中日新聞
デビュー当時の記事。
中日新聞
諏訪神社奉納時の取材記事。
四日市ケーブルテレビCTY
諏訪神社奉納演奏の様子。
毎日新聞
「篠笛の恋」が紹介。
四日市ケーブルテレビCTY
四日市祭りの獅子舞練習風景の取材。
三重テレビ 「とってもワクドキ!」
私の特集取材。
中日新聞
熊野・丹倉神社奉納演奏時の記事。
名古屋テレビ
左と同じ奉納演奏時の取材。
ラトビア共和国ラジオ放送
「星状六花コンサート」の紹介。
ラトビア雑誌「ブッダ」
アジアの特集をしている雑誌。
よっかいちai 教室の様子が掲載されました。
四日市ケーブルテレビCTY 生徒さんの「龜割り」助演練習風景が取材されました。
四日市能楽を楽しむ会「石橋」と獅子舞コラボ、放映。
発表会での生徒さん達
それではここで、音楽大学も出ていないどころか、音楽経験も無し、コネも無しの無い無いづくしの私が、なぜ横笛を始めたのか、どうして今の教室つくりをしようと思ったのか。興味の無い方は読み飛ばしていただいて結構ですが、生徒さんからもよく質問されますので、少しお話したいと思います。
私は三重県で生まれ育ち、二十歳の時に東京で一人暮らしを始めました。
住宅メンテナンス会社のサラリーマンをしながら、会社とアパートの往復の毎日が続いていました。
趣味といっても特になく、会社帰りに飲み屋かパチンコ、ゲームセンターに寄って時間をつぶすくらい。これといって打ち込むものもなく、ただ時間だけが何となく流れていく、そんな生活を送っていました。
そうした二十五歳のある日、私は一冊の本に出会いました。以前に大河ドラマにもなった吉川英治さんの「宮本武蔵」です。
私が最も心惹かれた「第一巻 縛り笛の章」の一節をご紹介します。
「低い・・・水のせせらぎにも似た音に、沢庵は自分自身が、行く水となって、谷間にせかれ、瀬に遊んでいるような思いに引き込まれた。甲の音が上がる時は、魂を宙天へ攫(さら)われて、雲と戯れる心地がするし、・・・と思えば、また地の声と天の響きとが和して、颯々(さつさつ)と世の無常をかなしむ松風の奏でと変わってゆく」
もちろん、その笛の音が、どんなメロディーかはわかりません。でもその文章の響きに、私はすっかり魅了されてしまい、横笛とはどんな音色なのか、実際に試してみたくなったのです。
そして教室案内の情報誌から探し出した、当時、新宿に出来たばかりの邦楽教室に通い始めたのです。そこはそれほど堅苦しくなく、私にも手頃な値段で続けていける教室でした。
習い始めた頃は、笛の音が鳴り、「宵待草」や「荒城の月」、また耳で音をとって歌謡曲やクラッシクなど、自分の知っている曲を吹けることが、たまらなく楽しかったのです。
半年ほどたって、自由に音が鳴り、ある程度演奏できるようになったある日、知り合いの方から老人ホームでの演奏依頼を頂きました。発表会以外で、人前で吹くことが初めてだったので、非常に緊張しました。また自信がない分、練習もしました。
そうしてむかえた本番当日、緊張しながらも何とか演奏をこなしました。自分の奏でるメロディーに、お爺さんお婆さんが一緒になって歌ってくれた時は、飛び上るほどうれしかった。
込み上げてくる喜びを何とか抑えながらお稽古に行きました。そしてこの慰問演奏のことを先生に話したところ、それまでの私の常識を覆す出来事が起きたのです。
「僕の了解も得ないで勝手に演奏を引き受けるって、どういうつもり?」
この邦楽という世界でのお稽古の経験がある方なら「そんなの、よくあることだよ」と思われるかもしれません。しかし伝統芸能のしきたりを全く知らなかった私にとって、演奏活動の了解を、事前に先生に報告しなければならないなんて、すごく窮屈な世界だなと感じました。でも同時に、
「邦楽って、こういう世界なんだよな・・・」
と無理に自分に言い聞かせ、納得させていたのです。
その後も、その邦楽教室で学んで、確かに技術は少しずつ上達していきました。先生から本格的に講師としてやってみないかとお誘いがあり、好きな横笛を伝えることが出来るのならと、本格的に講師活動を始めたのです。
しかし、そこで精力的に活動していけばいくほど、また、他の邦楽器をやってる先生やお弟子さん達の裏話を聞けば聞くほど、私の中に色々な悩みが生じてきたのです。
反論があるのは承知の上で言うのですが、私は従来の邦楽教室のあり方が好きではありません。
確かに邦楽という伝統芸能が残してきた文化的な功績は、驚くほど素晴らしいです。またそれを存続させてきたのは、長い歴史の中で、家元制度などの基盤に培われた、習慣やしきたりがあったからであるとも思います。
しかしそれが現在に至っては、それらを重んずるあまり、学ぶ側の自由が束縛されている場合が少なくありません。
また、本心では納得いかないと思いながらも、有名流派や家元という、いわゆる「ブランド」が手放せず、それに執着してしまうことで、なかなかそこから離れることが出来ないでいる方も、決して少なくありません。
私は自分の思いのたけを、全て先生に一度話してみました。
邦楽教室のあり方、先生と生徒の関係、音楽に対する姿勢など、これまでに感じてきたことを話してみたのです。
そして、それから二日後の四月二十八日。よく晴れた日でした。
一本の電話が私の携帯にかかってきました。
「悪いんだけど、君に教室を辞めていただきたいんだけど。もしここで音楽を続けていきたいって思うんだったら、第三者を立てて、僕のところに謝りに来なさい」
あっけらかんという口調でした。少しは何か言われるだろうとは思っていましたが、まさか突然辞めさせられるとは夢にも思っていなかったのです。
しかし、その教室の体質と音楽に未練を感じなくなっていた私には、その教室を再び訪れることはありませんでした。
私は、自分のいるべき場所を間違えたのです。
それなら自分で何とかやっていこうと思いました。横笛の活動に支障をきたさないように、定職にはつかず、アルバイトで生計を立てました。
でも、当時の私に何が出来るでしょうか?
確かに多少の横笛の吹き方の技術や知識などはありました。でも、そんな技術や知識だけでは、満足に食べていけません。
「横笛に関することなら多少はできる。教え方も、ある程度知っている。しっかりした教え方さえしていければ、何とか大丈夫だろう」
しかし、現実は厳しいものでした。
お金も満足に準備していませんでしたから、楽器や衣装が必要でも、買うお金がありません。広告だって出せません。
毎週日曜日、ワープロで打ってコピーしただけの生徒募集のチラシを、郵便受けに投函していました。
正直言って、辛かったし、悔しかったです。一日二百件まわっても反応はゼロという日が続きました。教室を辞めたのが四月でしたから、五月からチラシの投函をしました。
お金がかかるからと電車やバスを利用せず、歩いて配りまわりました。当時住んでいたアパートの近所を移動するのが恥ずかしくて、そこから少し離れた場所ばかり選んで、投函していました。
夏は炎天下の中、暑さで熱気が漂うアスファルトの上を、Tシャツが汗びっしょりになり、頭がフラフラで倒れそうになるまで回りました。
冬が来ると、淋しさが余計に身にこたえます。夕暮れ時になって暗くなると、なぜだか涙が出そうになって、唇をかみしめました。寒さで足の先の感覚がなくなっても、自分で決めたことだからと、歯を食いしばりました。
しかし、音楽に輝かしい経歴も無い私が、何百件まわっても、生徒さんなんて来るはずもありません。あまりに可哀そうにみえたのか、お茶を出してくれるお爺さんもいました。温かかったし、嬉しかった。でも可哀そうに思われたのが、何よりも悔しくて、ショックでした。
「もうアカンかもしれんな・・・」
と、知らず知らず口から出ていることもありました。
よく考えてみれば当たり前ですよね。実績もなく、どこの誰だかわからない相手に、些細なことだって任せられるはずもありません。
一人でやっていこうと思った時は、甘く考えていました。「まあ、良い演奏や、丁寧な教え方をすれば、自然と生徒は集まってくるはずだ。」
しかし、思いもよらぬことが起こったのです。
邦楽教室の友人に助けられて、少しだけ演奏依頼を頂いた時です。突然、彼女らからの依頼のキャンセルの連絡が来たのです。急いでその友人に問い合わせてみると、
「先生から、原さんとは仕事をしないように言われたんです。私だってそんな事はおかしいと思うけど、でも、それが後からバレて、あそこで仕事が出来なくなっちゃうと困るんです。ごめんなさいね。」
私は先生に殺気立つような噴き上がる怒りと、やるせないような悲しさで頭が混乱し、どういてよいかのか、分からなくなるほどでした。
それから数か月、なんだかボーッとしたままの生活が続きました。
(仕事を続けながら、空いた時間で音楽をやっていければいいか)
しばらく経って、私は、もう精神的に限界だと思ったのです。
そうこうしているうちに持病の腰痛が悪化。そのためアルバイトにも行けず収入が無くなる。さらに両腕に痛みが走り、袖をめくって見てみると、変なしこりが出来ていました。
結局、一人で生活する能力の無くなった私は、アパートを出て故郷に戻りました。
病院で様々な診察を受けた結果、お医者さんから「良性の腫瘍なら、さほど問題ではありませんが、悪性だったら、ガンである可能性もあります。実際に手術して摘出してみないと、はっきりしたことは言えません」という回答でした。
手術を受けるまでの二週間は、本当に生きた心地がしませんでした。表面上は平静を装っていても、やることなすこと全てに手が付きません。
病気のことを考えないようにすればするほど、心細く夜も眠れなかった。それもただの心細さではなく、不安で恐怖にも似た気持ちを含む心細さでした。
でも、そんな時、唯一、笛を吹いている時だけは心が落ち着き、不思議と自分を保つことが出来たのです。
この時ほど、音楽が心に働きかける力を実感したことはありませんでした。
手術を受ける日がやってきました。まさに爪先立ちをして、崖の端に立つような気持ちで手術を受けました。
そして術後、担当の先生が私に結果を告げたのです。
「良性の血管脂肪腫ですね。おそらく遺伝的なものでしょう。心配ないですよ」
結果を聞いた途端、表情には出さなかったものの、また生きてこの世界にいられるという思いで、喜びが体中に染み込むような気がしました。
そうして術後の療養も終え、腰痛も収まりました。だんだんと音楽に対する情熱も取戻し、もう一度この世界で頑張っていこうという気力も生まれました。
素晴らしい音楽、鯉沼廣行先生という良い師とのめぐり会い。また生徒さんが、ご友人を紹介して下さったり、横笛という職業だけで生活もしていけるようになりました。今では少しだけファンも増えました。
しかし、今振り返ってみても、私は特別変わったことをしてきたわけではありません。
邦楽界の習慣やしきたりに縛られることなく、生徒さんがのびのび自由に音楽活動が行えるよう、小さなことをコツコツやってきただけです。
私が味わった嫌な思いを、決して自分の生徒にはさせたくない。
この一念でやってこれました。
先生や生徒さん、また多くの友人や家族の助けを得て、現在に至っています。
以上が私の現在までの経緯です。
少し長くなりましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
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